ホールデン少年に告ぐ


学校の課題で『ライ麦畑でつかまえて』を読んで以来、君は僕の頭の中に住み着き、本文中でやらかしたような何とも回りくどい誇張だらけの問答を繰り返す訳だが、
(正確に言えば、君が口にするその表現は“君にとっては”全く適切で、“君にとっては“見たままあるがまま”であるかもしれない。しかし君にとってそれがそうであるように、今僕にとって君の表現は激しい混乱を招き、真実をぼかすものに過ぎない。その点をこの間だけでもいい、理解して欲しい。)
それは甚だ迷惑な行為であり、僕の実生活にまで支障を来しているので、ぜひ即刻この場から立ち去っていただきたい。


君が青年時代を大人と子供という存在の間であがくことこそ否定しない。君の過敏で何とも自己防衛的な、理想主義的かつ現実逃避的な姿勢を批判する気も全くない。
ただ、それを僕の中で行わないでいただきたい。何故なら僕もその最中と言っていい状態であり、いやしかし僅かな安定をようやく得て、必死で毎日をくぐり抜けているところなのである。


もちろん完全に現実に適応したとは言えないが、それでも自分の木馬の上で金の輪を、せめてそう見えるものを掴もうとはしているんだ。
それを隣ないし、僕の内側で掴みたいものもわからないまま今にも木馬から落ちそうになって君にフラフラされると、こっちまでつられて真っ逆様になっちゃいそうなんだ。


落ちそうでも放っておくべきなんだ、と君は言ったね。金の輪を求めて身を乗り出す子供たちに君は確かにそのように思ったんだろう。僕も全くそれには同意だ、でもね。
落ちたら痛みを感じるだろ、その痛みは多分結構激しいもので、さらに受け身もとれずに落っこちたりなんかしたら、ひどいところを打ち付けてしまって、すぐさま立ち上がるのも難しくなってしまうだろう。
でも回転木馬は止まらないんだ。時間が来ておしまいだよって係の大人が言うか、もしくはその落ちたまま動かなくなったその子を見つけて機械を止めるまで、木馬は何の躊躇もなくその子を置いてきぼりにして回るんだ。
やっとやっとで木馬に乗って、折角もう少しで金の輪が掴めそうってとこで、君のバランス悪く危うい姿勢を見つけてそれにつられてしまう。そして実際に落馬なんかしちゃったら、ほんとにやり切れないじゃないか。実にやり切れないよ。


僕が焦っていると思う?作中の君のように、焦り、混乱し、激しく憔悴しているようだって?
そう見えるんだとしたらそれは君のせいだ。だって僕は君が現れるまでそれなりにちゃんとやれてたはずだ。木馬にちゃんと跨って、金の輪に少なくとも照準を合わせようと努めていたはずなんだ。それを君が、僕の内側に忍び込んだばっかりに!!!


ホールデン少年に告ぐ。
頼むから僕の中から出て行ってくれ。君の目まぐるしく揺れ動く感受性や、俗物への憎悪や、他者との接近と受容への葛藤や、そもそも自分の足元が全く見えてないあの感覚なんか、はっきり言えばもう僕は見飽きているんだ!
さぁ出て行ってくれ。あっちへ行くんだ、消えてくれ。出て行けよ!!!


ああ、これだから、文学作品なんか嫌いだ。作品と名のつくものは皆ろくでもないよ。クソ食らえ。