思考回路オーバーヒート
僕の中の「誰かをぶっ殺したい」という衝動がいつまで経っても何年経っても消えてくれません。
(誰かというが多分その“誰か”には全くのランダム性は包含されておらず、ある程度の対象の枠は私の中に定まっている気がする)
今や音楽は僕を自由にするだけで、解き放つだけ解き放たれたこころを持て余して現実不適応を誘っている
こころの自由に身体と意識が追い付かない。
そう、追い付かない。
額縁を磨く老婆の絵画を見た瞬間涙が視界いっぱいに広がった。
恥ずかしくて拭うことすらできなかった。
感じることは恥ずかしいことか?
少なくとも僕にとって僕のこころは、感じ過ぎている。
人の批評を勝手に紡ぐ口を縛って海に放り投げたい。
僕の思考は大変よろしくない。人に語るだけの考えではない。
僕の善悪はまるで洋服のサイズを確かめるように安易に測られる。「僕のこころに響くか響かないか?」
そこに明確な基準はない。ただし偏見が存在している。何とも信用ならない。
僕は誰かを殺してしまいたいなんて思う。
僕は多分、君を殺したい。
それが怖い。
我ながらまとまりとつながりのない文章になった。すいません。