とある観衆の憂鬱


理由なく何かを好きと言ったり嫌いと言ったりしていいのか。何かっていうか音楽とか。「何となく聴いてて嫌い/好き」って感じることはいいことなのか。
ちゃんと理論とかわかってないとやっぱりダメ?さすがにそれは違うだろうとは思うけど、理由が説明できてもすごい主観的になってしまうし、その主観も人とズレてるから、安易に言い出しにくい。
あと下手に人気あったり人に高く評価・共感を得てたりとか、作品に込められた作り手の努力とか苦悩とか背景に浮かぶ様々なものまで知っちゃったりすると、ほんと容易くは何も言えなくなる。
例えその作品がどんなに自分に不快感や憤りを与えるものであったとしてもだ。


単純に自分の考え過ぎかもわからんが。後は許容範囲の狭さだな。
僕は本当に心が狭くて、僕の心の狭さのせいで全部うまくいかないんじゃないのかって思うくらいだ。


今の音楽シーンが僕にとって魅力的に見えないのもきっと何となくだ。後は心の狭さというか、関心の狭さ。
だってまともに聴いたバンドの数なんか数えられるほどだし、そもそも前ほど沢山のアーティストを知らないし知っててもチェックしてない。
まぁそう思って取り合えず何となく名前を聴いたことがあってちょっと人気のあるらしい新しいバンドのCDを聴いてみると、本当にひどくて
(より正確に言うなら、僕にとっては不快感を招くものだし、はっきり言えばすごく気にくわない、好きになれない音楽だった。この“嫌い”の理由も本当に主観的で全然説明としての役割を果たしていない。最悪だ。)
新しい音楽シーンに乗れない自分はやはり懐古主義にひたって己の世界をどんどん閉じ狭めていくしかないのかと思って、
かと言って懐古するにはもう何回も何回も何回も何回も何回も何回も聴き過ぎて、聴くだけでなく様々な感情を委ねてみたり、音を追って無知なりにその音色に関して様々に考察してみたり、そうでなくても本当に好きで聴き続けていて、でもそろそろ同じような新しいものが欲しいな、なんて贅沢に考えちゃうような、
とにかく回数なんか数え切れないほど聴き続けてきたメロディやリフや歌声だけじゃ結局物足りなくて、
最終的に己を恨んだり新しい音楽に憤怒を燃やしたりそこでこれまで付き合ってきた音楽と向き合ってまた己が憎々しくなったり、しかし肌に合わない音楽にも浸れず、だけどその音楽が大衆の支持を得ていて、やっぱり自分の頭がおかしいのかと目を伏せたくなったり、結局心臓がひりひり痛むこの感じを微塵も解消できないのであった。