ひとつのフェスや邦楽そのものに固執する必要性は全くないということは前提に置いたうえで


純粋に、ロックを聴いて、ひとつのバンドの歌を聴いて、泣いて、
ただそのミュージシャンの音楽だけで成立する世界にひたって
自分は生きててもいいんだって思っていた頃の感動をいまだに追い求めるのは愚かなんだろうか



と、今年のcountdown japanフェスの出演者等々を見て
(というかもうそれ以前から、音楽シーンを取り巻く様々なあれそれを横目で見ながら、ずっと思ってはいたけれど)
激しく思った


そんなのマイノリティだってわかってるけど、それでも初めて私がこのフェスに行った頃はそんな感動があったと記憶してる
音楽を聴くために飲食休息全て投げ打って、それこそボロボロになるまで踊ったけど、
今はもう、私も肉体的にもそれはできないし、音楽もそれだけ奮い立たせるものを内包している歌が最近奏でられていないと思う
(単に私とのマッチング、要するに好みの問題なんでしょうけれど)
(私も年をとって、感受性や想像力がどんどん衰え萎びていることも否定しません)
(そしてこれはただ“私には響かない”だけであって、
 音楽と、自分の表現と、その方々なりに真摯に向き合い、
 そしてそれを“職業”として全うしているアーティストの皆様を、
 短絡的に真っ向から否定するような意図では一切ありません)


ただ、いい加減、自分の精神衛生上によろしくないので、ちょっと音楽の幅を広げる準備をしないといけないと思った。


もっと、エグいほどに切ない歌が聴きたい。
自分は本当に生きてていいのかって、追いつめられるほどに悩んで、でもそれでも叫び続ける歌が聴きたい。
突き上げるように音楽を渇望している人の歌に、崩れ落ちてダメになるほどシンクロしたい。


インパクトを与えて、話題性に富むだけが音楽じゃないでしょう?
わかりやすいだけが、ポップさだけが音楽じゃないって、誰か言ってくれ


装飾性にまみれたメランコリズムなんてもううんざりなんだ。