寝れない 寝ない

寝れない
寝ない
どっちなんだか


一人暮らしを始めてから
いや、その前から兆候はあったんだけど
時折夜を寝ずに過ごして
でも昔は朝方どうしても堪え切れなくて布団に入ってたけど
最近は完璧に、眠れない
軽い不眠症になっている
ちょっと入眠障害(っていうの?)になりかけている


こういうのを聴いて、母親はいつも私に呆れる
確かに、重く見すぎると逆効果を呼ぶ可能性はあるんだけど
本当に苦しくて仕方ないとき、そういう扱いされると、余計に悲しくなる
高校のときとかは、いつも悲しくなってた
最近、電話で寝れないことをボソッと言ったらそういう扱いをされて、
あぁ、そうだった、この人に言っても無駄だったって、思い出した


あの頃、高校の頃は特に、そうやって、
誰も私の悲しみや辛さや淋しさを、親身にわかってはくれなかったから
(寧ろ他人のその類の感情を、親身に理解するどころか、
 しようとする人間すら、この世の中にどの位いるんだろう)
結局自分でどうにかしなきゃいけないことは知ってたけど
でも自分でどうにも出来なくて、
現実が嫌になって、怖くなって逃げ出して、
ネガティブな考えを持つ自分が嫌で、
こんな自分は否定すべきものだって思っていて
どこにも居場所がなくなっていって
誰も信じられなくなって


そういうときに、出逢ったのがART-SCHOOLだったんだ


その頃のロッキンオンジャパンで、
REQUIEM FOR INNOCENCEのインタビューをたまたま見て、
「この人、こんな暗いこととかを、
 こんな誰もが見るような雑誌で言ってる!」ってびっくりして
その姿になんか、勇気付けられたって言うか。


その頃からネットはやってたから、ちょっと探せばいたんだよね、
自分と同じ、所謂「死にたい」とか言っている人たちは。
でも、それじゃあリアリティがなかった、何でか。
その向こう側にいる人が全然見えなかったからかもしれない。


それはともかく。
私はこの、木下くんのインタビューを読んで、
初めて自分が認められたような、救われたような、感覚を持ったのを覚えてる。
同時に、何で私がこんなに堪えてるのに、この人はこんなに曝け出せるの、
って、憎かったとも思うし、
後は、そうやって自分の中の醜い部分を吐露しているのにショックを受けて、
凄く、気が狂いそうになったのも覚えている。
とにかく、彼に出会って私は変わるきっかけを、
救われるきっかけを、得たんだなぁと思う。


私はART-SCHOOLが終わらなくて、本当に良かったと思う。
反面、最近理樹くんが色んなところで(というほどでもないかもしれないけど)
「俺は30まで生きてないと思う」的なことを言っていて


別に彼が死んだら私も死ぬ、なんてことは言わないけど
実際、彼が私より先に死んだら、いや、どっちにしろ死ぬ訳だから、
そのとき私は一体どうするんだろうなぁと思う


正直、彼を失くした世界を想像するのすら、ちょっと怖い
依存はいけないよなぁ、と思うし、そう言われちゃったから気を付けたいけど
(彼らは彼らであって、私は私であることを忘れてしまうと、
 ちょっと怖いこととかが起きてしまうのは重々承知のつもりなんだけど)
でも、実際そしたら私は本当に、どうするんだろうって


そこに、どんな選択肢を見出すんだろうって


今は全然わかりません
幸せな証拠だろうけど、それはずるい気もする
本気で考えなくちゃいけないことでもないかもしれないけど
割と重大な問題だ


でも、それで死にたくないです
今はそれで死んだら悲しいと思う
それで死んだら美しいかもしれないけど
それじゃあ 何のために生きてきたんだろうなぁって
そういうことになってしまうから


ART-SCHOOLのことを、あの曲の美しさを思い出すと、やっぱり嬉しくなる
音楽のことを考えて、とても心地良い想いで満たされる瞬間は、幸せだ



ああ、もうすぐ外が明るくなるなぁ
結局今日も寝れないのかなぁ
それとも寝ないのかなぁ
どっちかなぁ