お元気ですか


両親と友人のように仲の良い人を見ると、心から羨ましいと思う
内面までの細かい点での真摯な理解とか、出来てるのいいなぁって
単純な例を挙げると、女の子の母親への恋愛相談とかね
そういうところまで素直に話すことが出来て、
そういうところまでちゃんと真剣に聞いてくれるのってさ
本当に、本当に羨ましいなぁ、と思う


でも私は私と両親との関係を恥じている訳ではないのです
きっと一生わかり合えないのだろうと思うところは、確実にあるけど
(この先私がどんな人間になるかでそれは幾らでも変わるが)
でも私は両親を愛していると思うし、一応は愛されていると思う
そうじゃなきゃ仕送りくれないだろうし(笑)
うるさい小言も、今は愛情を持って聴くことが出来るし


年末、実家に帰る際の電話に出た父親の、
今までに聴いたことのないほど明るく浮かれた声と、
年明け、埼玉に戻る際の新幹線を見送る母の、
出発ギリギリにガムを買ってよこす理由のわからない行動と、
私は、心から愛しいと思うのです
いつもいつもありがとう



大好きな人のギターを聴きながら、
死んだらこの人の放つ音になりたいと思っていた
高校のときからそれはずっとそうだった
(割とその頃は切羽詰って本気だったけど)
(今はああなれたらいいかなぁ、程度になってしまったけど)


私はきっと、表現者にはなれないんだろう
それで飯を食う、なんてのは出来ないと思うので
ならばせめて音となって、誰かの鼓膜を揺らしたいのです
幸せを感じさせる音そのものになりたいと思う


しかし本当、手にいつまでも芸が付かないな…
そもそも、環境のせいなのか、部活動がちっとも続かない
小:合唱部、中:バドミントン部、高:文芸部、大:無芸(苦笑)っていう
学校に入る度入る度、前にやってた部活がなかったり、
もうこれ以上やる気はしないとか思ってしまったりと、
ほんとに何も手についてないや…
空っぽだ、虚無だ、どんどん失くしてく、止まらないのは



それでも私は、今の私は、受け入れようとする
私を愛してくれる両親や妹たちのことを考えられる
先輩と音楽について話すときの楽しさがある
友人とただ話すだけでも楽しいと思えるときがある


今はそれがある
いつまで続くかはわかんない
だから今を生きている
そうやって続くだけだ



別に何かがあるんじゃありません
寧ろ何もないです
ただ私は見つけて行くだけです


何かを持っている、と考えるのは、おこがましい気がします
相変わらず幸せは怖いものだと思っています
笑ったり楽しいと思ったり嬉しいと感じたりすることに、引け目があります
ふとした瞬間、ごめんなさい、と叫びたくなる


それでも生きています
続いて行く、のです
私は、続けたいと願っていても、いなくても、
終わらせる勇気と覚悟を持たない限りは
絶望もチャンスも等しく、続いて行くのです
どちらを拾えるかは、自分次第なんだなぁ…



相変わらず私はこんなんですよ
親愛なる皆さん、お元気ですか?