何を書いてもうざいとかきもいとか寒いとか青いとか言われそうで


怖くって怖くってでもそんな感情すらどうせ皆にとっちゃあどうでもいいんだろうなぁと思ったら本当に何にも言えなくなった。
そしたら何にも感じなくなった。それがいいことなのかは、よくわからないんだけど。これを今更誰それのせいには出来ないししてはいけない。でもしたい。それがいけないことでも、正直な気持ちだ。
でもだとしても、それが出来たとしたって何も変わらないのだろうけど、私の中にはあまりもカタルシスが足りなさ過ぎる。不浄が不浄のまま蓄積されて行くのにずっと眼を瞑っていたけど、限界なんて当に越えて頭はとっくにくたびれて使い物にならなくなってる。それでも論理的思考と客観視が適度に出来れば日常はどうにかやってける。だから知らないふりをしていた。不安定に積み上げられる感情を、私はどうでもいいと言った。心からどうでも良かった。日常がつながればそれでどうにでもなるから。どうでも良かった。


誕生日という実感がない。昨日は他人の誕生日だった。隣の学科の、あの子の、誕生日だった。後は、どうだって良かった。多分。
そのくせ家に着いてから届いた、家族からの沢山のプレゼントに号泣するのは何でなのかわからない。「これしか作れないから」と言ってケーキを3種類も作って贈ってよこす母親がわからない。滅多に手紙など書かない父親からの誕生日カードの文字がわからない。何もわからない。何でこの箱は送られて来たのか?どうして私の元にこんなに沢山の贈り物が届いたのか?嬉しいとは何かが違う。ちょっと違う。とにかくよくわからない。


20歳にもなって、そんなことでよく泣くなぁ、とか、それは他人への嫉妬じゃないのか身の程知らずとかそこ言わないの。そんなの私が一番よくわかってるんだから。
特に身の程知らずっていうのは凄くよくわかるからもう言わないで欲しい。私には人に愛されるための“性質”が足りてない。圧倒的に人間と普通に仲良くなるための“親しみやすさ”が足りてない。人に優しく振舞うだけの余裕がない、偽善と寛容だけは人並み以上にあるつもりだけど。とにかく必要な部分が足りてない分は人より頑張らなきゃならないのを、サボってるからいっつも淋しいんだよっていうのは、すっごくよくわかってて、でも結局出来てないんです。それは自分が悪いんです。仕方ない。
というか何で泣いたのか、誕生日がどうこうとそれは関連するのかもよくわからんまま涙が止まらないだけです。今は。



ああやっぱだめだ、私はまだまだ青臭い…
すみませんあんまり真面目に読まなくていいよ