げんなり


常識や感覚などの人とのズレ・そして大事に育てられて来た(はっきり言って甘やかされていた)ための他者への無責任な依存心・何事においても何をやっても頭の悪さが喋れば喋る程行動すれば行動する程露見する、とかいう自身の難点のために、本気で人間関係が上手くやれないのでストレスが溜まって仕方がない。
頼むよどうせ惨めになるだけだから、喋らなくていいんだったら喋らせないでくれ というか独りにしといてくれ 放っといてくれ 私のことなんか微塵も気に留めないでくれ とっとと君の頭の中から消し去ってくれ とかいうね




でも独りぼっちはさびしいから今日もばかみたいに己の阿呆さをひけらかしてしまう訳ですね。
死ねばいいのに。
死にたいし。
だから死ねばいいのに。


自己嫌悪して罪悪感に苛まれてるだけなら単純なんだけど、最近は自己擁護心も芽生えて来てるのか「だってそれはあっちのせいじゃん、あっちがはっきりしないせいじゃん」みたいな苛立ちもしょっちゅうあります。「意気地がないのは自分のせいだろ」と自分の中の開き直りを人に押し付け気味になって思考してしまいがちになっています。こうして書き出してみると自己中心的なので改めてまずいと思った。でもそう思った矢先「いやでも向こうだってちゃんと主張してくれないと、エスパーじゃないんだから言葉にされなきゃわからんものもあるのに」という気持ちもあり、果てはつまりはめんどくさいめんどくさい人間付き合いって何でこんなめんどくさいんだろうという苛立ちに変わる訳です。やってられん。
「はっきり言って欲しい」と思う一方で「折角“嬉しかったこと”を話してるのに、何でそれをいちいち斜めから構えた視点で突っ込んでがっくりさせるのか、向こうの気が知れねぇよまじ」とかいう無茶苦茶なところもあるので余計にやってられない訳です。


いやしかしなぁ
自己嫌悪と他者への苛立ちって、感情がささくれ立ちっ放しですわね
いやねーこういうのねー
少なくとも健やかじゃないよねー


今日はバイト先へ向かう途中に雨びったんびったん降ったので傘差しててもびしょ濡れになってしまったのに、電車が遅れるので遅刻するって電話して、ようやく来た電車に乗り込んだ瞬間雨止んだりねぇ。ほんとやってられねぇみたいなこと多過ぎ最近。明日もやってらんねぇみたいな授業が控えてるのでほんとやってらんねぇやり切れねぇ。


いや全くねー
ほんといやだねー
なー
あー



どうでもいいけど京都に行きたい。夏の京都に行きたい。
もーめんどくさいし気乗りもしなくなってしまったので、いっそ夏フェスは全部蹴って普通に旅行の計画でも立てようかなー