涙なんて要らない


「泣きたいと思うときに泣けない瞳なんて要らない。壊れてる。」


私はそう呟いた。そこは独りきりの部屋だった。東側の白い壁が斜陽で赤く染まっているのを見た。私は涙の出ない壊れた瞳で見つめていた。真っ直ぐな視線を、見開いた眼で、送った。


私に涙なんて要らない。要らないのだ。要らないから流れないのだ。きっとそれだけ。
この心がどれだけ裂けそうに痛んでも涙は流れないから。悲しみや孤独を覚えても一粒も零れないから。
それはきっと私に涙は要らないということ。要らないから涙は私から溢れないということ。ただそれだけ。


「きっとそれだけ」





記憶の中でヘッドフォンに挟まれて泣きじゃくる誰かを見た。真っ暗な部屋で、月灯りからも閉じ込められた部屋の片隅で。
この音楽の一欠片でもいい、そんな存在として生まれて来ることが出来たなら。
そう言って彼女は泣いていた。強く心に光る、願望、望むということ、僅かでもいい、希望。





「今の私に見えるのは、未来という名の現実」


でもそれでなくちゃ生きて行けなかった。食べれなければ、名誉がなければ生きて行けなかった。これから、生きていくことは出来なかった。私はそう思っていた。そこに願望はなかった。望みも希望も、まして煌きも、何もかも照らされない未来を、私は見ている。否、照らされず形作られない未来に、途方に暮れていた。


けれど途方に暮れたところで、涙は出ない。必要がないから。



純潔は失われてしまった。同時に、月灯りすら届かない部屋で私を照らしてくれたあの音楽は、聴こえなくなってしまった。音源は手元にある。けれど、聴こえなくなってしまったのだ。あの日の音楽は、もう、きっと二度と。




見開いた眼に映るのがやがて絶望と虚無だとようやく気付いて、私は眼を閉じた。
朝が来る恐怖にも慣れたこの心のまま、一体どこに行くというのだろう。知る者がどこかにいるならば、どうか、諭して欲しい。
そうして乾いた視界を瞼の奥に仕舞い込んだ。今日も月が昇る。その光は、届かない。