コ コ ア


「幸せになろう」
彼女は、文庫本を片手に、そっと呟いた。視線をページの上から外さずに唇を動かした。私の両手には二つのマグカップ、視線は騒がしいテレビのコメディに向かっていた。
「私達は、幸せになろう」
そんな風に彼女は言った。微かな声に私はうっとりとして、だけどそれを悟られないようにさり気なくマグを彼女の前に置く。湯気の昇る甘く香るそれを一口すすりながら、彼女は長い睫を伏せていた。
「どうしてそう思ったの?」
私は隣に腰掛けて彼女を見上げ、問い掛けた。眼鏡の奥のしゅっと切れ長の眼が私を見る。結んだ唇は固く、それまで飲み込み続けた悲しみを吐き出すまいとしている。
「私達は、幸せになるの」
「どうして?」
「私は、そう決めたの。」
しっかりとした口調でそう言い放った後、もう一口すすり、ちょっと甘いわ、とコトリとテーブルの上にマグを戻した。それから私を見る。少しだけ淋しそうに瞳を緩ませる。
私は、応えるように微笑む。
「そうね。」
出来るだけ優しく微笑む。
「私達は幸せになれるわ。」
マグから伝わる熱ではなく、私が身体から保つ熱を彼女に伝える。彼女の不安への、それが答えになる。
甘く優しい匂いが部屋中に広がっていた。冬の夜の闇が深々と、私達の周りを包むように、優雅に舞っていた。