散歩における思索?-1


散々と。妄想染みたことを嘯いているだけです。


車道の真上の標識に巣を張る蜘蛛を見た。餌を捕るために張るには大分非効率と言えそうな場所だったのだが、確かに電柱から伸びる看板は、形態という観点から考えれば非常に単純化された樹と枝の関係に似ている気がして、そういった張りやすいところに巣を作るという習性がもしかしたらあるのかもしれない。しかしそうだとして、習性は生き物が本能を満たすためのものではないのだろうか、と少々直感的に結び付けてしまい、もしもそうだとしたら、あの蜘蛛の感じる生きにくさというものが非常に身近に感じられて、勝手に感傷にひたってしまった。
ただし蜘蛛の巣作りというのが果たしてどのような特性を持っていて、それは習性なのかという点で疑問は残るのできちんとした調査の必要性を考えざるを得ない。また蜘蛛の習性と本能という点についても僕は全くと言っていいほど素人であるし、そもそも習性という言葉をきちんと把握しているかすら怪しく思われてきた。最終的にはファンタジーに世界を見るだけでなく、もっと理知的に物事を捕らえたうえで己の感情を委ねろよと、もっと言えば己の想いとかを委ねようとしている対象の正体を自分の眼鏡を通さずにもっと正確に知る努力を怠るなよ、と内省した。


蜘蛛の特性はもちろん、文中の言葉の定義にすら怪しい部分が多いので、後程色々と書き足したいです。