とある男の子のことを考えようとした女の子の話


初夏の裏道で自転車を漕いでいる彼女はとある男の子のことを考えようとして、視界の端を横切る三毛猫に気を取られてそれに失敗した。三毛猫はやたらとみゃあみゃあ鳴いていた。彼女が走り去った後も鳴き声はずっと聞こえていた。
彼女はまずとある男の子の顔を思い描こうとする。笑っている顔のことを考えようとした。けれど失敗した。薄暗い夕暮れの空に相反したコンビニの眩しい照明が眼に入ったからだ。彼女は自転車を店の前に止めてコンビニの自動ドアをくぐる。店員のやる気のないいらっしゃいませという決まり切った台詞をぼんやり耳に入れて、真っ直ぐアイスのコーナーへ歩く。
彼女はとある男の子の掌の温度について思いを馳せた。あの日に握り締めたはずの温度はまだ自分に残っているかどうか、記憶を探る。しかしミルクのアイスバーを拾った瞬間、その冷たさに驚いて全て吹っ飛んでしまった。これは夕飯の後に食べよう、と彼女は決めて、それからお弁当のコーナーへ移る。鳥そぼろのお弁当を手にとってレジへ向かう。
彼女はとある男の子がどんな風に喋っていたかについてを思い出そうとした。自分に話しかけるときの声はどんな風だったかを頭の中で再生しようとした。だが、店員が455円になりますと金額を告げた瞬間、意識は自分の財布の方へ集まってしまう。彼女は500円玉1枚と5円玉一枚を差し出し、50円玉1枚をお釣りで受け取る。ありがとうございましたーと口の中でだけ言った店員と眼も合わせないで、彼女は店を出る。
彼女はとある男の子のことを自分がどれだけ好きだったのだろうと自身に問い掛ける。日々身体や思考の中をあんなにも駆け巡っていた想いはきれいさっぱり消えてしまったのだろうかと考え込んでしまう。毒のように全身の隅々まで広がって行く感覚についてを恐れる。何もかもを飲み込み、正常や幸福感を飲み込み、毎日を犯しては灰色に変えてしまったあの感覚を、恐れる。そうだ、恐れはある、と彼女は気付く。喪失感もある、痛みすらもまだ残っている。けれど、自分を犯す毒そのものの濃度が随分下がってしまったような気がしている。あんなに、失くすことすらも出来ないのだろうと思っていたのに。彼女は頭の中にあるべきものがなくて、何だかがらんとしてしまっているのを感じながら、ぬるい向かい風を突き破っている。空っぽを抱き締めている気持ちで、彼女は坂道を下りながらぼんやりとしている。


夜の帳の中、彼女はとある男の子のことを考えていたことを忘れてしまう。夏の訪れが近いのを感じながら、外灯の明るい方へ、ペダルを踏んで走って行く。