保食


部屋の隅でがりがりと音を立てている。
夕闇、薄暗い部屋の中、君は彼の前に立ってそれを見下ろしている。
裸足の爪先で剥がれかけたネイルが霞んで映る。
瞬きひとつしない見開いた眼で、君は彼を記録している。


「おいしいの、そんなにおいしいの」
君は彼に問い掛ける。彼はぴたっと手を止め、頭を持ち上げる微かな動きを示した。


そして視線は鋭い矢のように突き刺さる。
暗闇の中の獣のそれそのものとして、瞬時に君を貫く。
その一瞬は君に永久として貼り付いて、残像が離れなくなる。


彼はがりがりと音を立てている。
虚ろな表情で熱心にかぶり続けている。
君はそれに背を向けると、化粧台からハンドクリームを取り出す。
べたつく感触を掌に擦り込んで、手の甲に擦り込んで、
荒れた指先に、噛み千切った爪の先まで。
君はひび割れそうな指をぎゅっと握る。
肌と肌の摩擦音の間から聞こえていた雑音が増幅する。




がりがり、がりがり、がりがり、がりがり


おいしくない、おいしくない、おいしくない、おいしくない


たべたくない、たべたくない、たべたくない、たべたくない


たべないと、たべきれない、たべないと、たべないと


おなかをこわして、からだをこわして、あたまをこわして、こころをこわして



ぼきん、と音がした。
彼の歯ではなく、それが挟み齧り付いていたものが真っ二つに割れた。
君はとっぷり日の暮れた部屋の中、気配だけでそれを感じ取る。
獣の呻き声を聞いた気がして、ゆっくり瞼を降ろして、冷たい床に伏せっている。



何かが下に落ちるのが小さな振動と鈍い音でわかる。
それが彼の頭か、誰の頭か、何なのか、もう君が知ることはない。